Black lives matter

2020年。

昨年暮れに娘が生まれてから、目の前のことに没頭してきた毎日だったが、

気づけばまわりの世界が大きく変わっていた。

 

新型コロナウイルス・・・そして今はアメリカが発端で起こった差別問題。

私が語るには正しい情報や歴史はまだまだ勉強不足だが、

確実にアジア人として生きる中で(まだまだ見るに足りないけど)アメリカ人の主人と生活して思うことは、アジア人はマイノリティとして見られることがある。

この差別問題の土俵にも立たせてくれない、そんなもどかしさを感じることが多々ある。

まぁアジア人は黒人のように声をあげたりもしないんだよね。

 

学生の頃に教科書に載っていた、有名なキング牧師の言葉。

あれはまだ数十年前の出来事ということ。

それまで法律的にも黒人を差別することが当たり前の世の中だったんだ。

 

人間自分とは違うものを見ると感じると嫌悪感を感じてしまうのは自然な気持ちだと思う。小さい頃、いや今でも初めての場所や自分がナーバスな気持ちの時は人は自ずと自分と共感できる人やものを探すと思うから。

でもそれを行動に移す態度に示す→「差別をする」ということは、全く別問題だよなぁと。

 

娘を産んだとき母に「○○ちゃんは、将来大丈夫かな?名前は英語で顔はアジアだけど」と言われた。やはり母の世代はハーフの子はいじめれる、そんな先入観が強いようだ。

私の娘はアメリカ人と日本人のハーフだが、主人の母親が台湾系アメリカ人のためクォーターになるのかな?確かにほとんどアジアの顔。

でも彼女が大きくなる頃、学校に行く頃、こんな考えは無くなって欲しい。

みんながみんな違うことを認め合い、多様性を持った未来であって欲しい。

 

そう思ったとき私には何ができるか?

今回沈黙も選択と言われるように、自分のコミュニティだけでいいから自分の意志を発信することだと思った。それからまたこの事件の背景や歴史を勉強して自分なりの意見を持つこと。

 

今すぐに大きく変わることは難しいと思うが、一人一人が声をあげることで大きなビッグウェーブができますように。。。

 

ドタバタとはこのこと

最後のブログから170日。

人生で一番色々あった日々だった。

 

前回のブログの結びで書いた「いつか娘ができたら・・・」と言う言葉。

それを書いているお腹の中には娘がいたのだから。笑

 

令和初日、子供ができていることがわかった。

4月の半ばからいつもと違うと感じていた身体。

検査薬を試した時にはっきりと出ているラインに身体が固まった。

 

今にして思えばこの妊娠は本当に奇跡だし、このタイミングであることが運命だったと感じるけれど、事実を受け入れるのにしばらく時間がかかった。

だからなのかそのあとはつわり地獄。

 

もうなんだかんだ思い出せなくなってきているけど、笑

いつ終わりが来るのかと、1分1秒ベッドの上・ソファの上で願った。

片手にあるiPhoneで「つわりいつ終わる」をググるのが唯一の救いの手だった。

つわりは夏場まで続き、吐かなくなったのは9月になる前かな?

 

気づけば妊娠後期。

減った体重は、グンと一気に増加。

今は体重管理に悩まされてる。

食べても割りかし太らない体質だったのに、あの頃の私はどこへ、、、。笑

 

会いたい人に会いたいし、食べたいものも食べたいけど、

中々体重も万全ではないから難しいね。

 

訳あって仕事も退職してしまって、今はまさかの専業主婦をしているけれど

それもまた私を悩ませる。

 

やっぱり働きたい。

 

子供が生まれたらまた状況は変わるのかもしれないけど、

社会との繋がり。

誰々の奥さん、何々ちゃんのママそうではない自分だけのコミュニティが欲しいなぁ。

久しぶりに昨日の夜、前の会社の友達とご飯を食べて思ったこと。

私だけ時が止まってるような気がした。

 

ママになった友達と距離を感じること独身の時はあったけれど、

こういうことなのかなぁ。

興味とか自分の中のトピックがずれていくというか。

 

もちろん、子供が生まれたら子供が独り立ちする日まで

しっかり責任を持って育てて行きたいけれど

自分のことも大切にして行きたい。仕事のこともまだ諦めたくないな。

自分のためにも、家族のためにも。

働くことでオプションが広がると思う。

器用に賢く、生きて行きたい。

 

出産までの残りは、資格の勉強とお金の勉強かなぁ。

あと英語か・・・笑

 

 

 

 

ブログ the time is rose

いつからだろうか。

自分が何をしたくて、どこに行きたくて、何が好きな人間なのか。

フランスの画家ポール・ゴーギャンの代表作『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』を思い出す。

 

ゴーギャンはこの作品を描き上げた後に自殺を決意している。(実際に未遂に終わったようだけど)

絵画への理解や解釈なんて人それぞれによるのだろうが、

この絵を見るたびに混沌とした現代社会を生きる私たちにこそ見出したい大きなテーマのように思う。

 

これまでの人生で何か満たされない気持ちが常々あった。

思春期から衰退していった微かな自信も、様々な人に出会うたびに、年を経るたびに、皆無になっていった。

 

「自信を持つこと」

 

25歳を過ぎた頃からは、自信というものに対して関心がなくなってきた。これはいい方向の始まりだったのかもしれない。

 

26歳になった頃に、アメリカ人の彼氏ができた。

日本が悪い、欧米が良いなどと一概には言えないが、

付き合う中で多くのカルチャーショックに加え自分を見つめ直す機会が多く訪れたように思う。

 

彼ら(少なくとも彼と彼の周りの多く)は、「自分」が何者かをよく知っているということだ。

 

 

小学生の頃の私は絵を描くことと、おしゃれをすること、ホームページを自作したり、テレビゲームをすることが好きだった。

好きなものが多過ぎて忙しいほどに。笑

 

中学に入り先輩にいびられないよう、姉も所属していた当時可愛い子たちの集まりのソフトボール部に加入した。

本当は美術部に入りたかったが、その頃の私にとってはなんかダサい・暗いという気持ちが強く、中学のカースト制を生き残る為に選択した。

 

今思うと楽しいと感じるときはあったのかな?と思うが、まぁあったのかなぁ。。。仲間ができたのは良かったかな。

その頃から無意識に周りの目を気にして生きるよう私の脳みそにインプットされていたのだなと思う。

 

自分の心と会話する機会は20代後半になるまでほとんどなかった。

気づけば私が何をしたら楽しいのか、幸せになるのか、

グーグルで検索すれば出てくるコラムのような答えしか見つからなかった。

 

このブログは自分を見つめ直したり、興味のあることに関して自由に書いていくつもり。

 

今日は少し哲学者っぽく。

明日は口調も違うかもしれない。笑

 

将来もしも娘が生まれて、人生に息詰まったり苦しくなった時に

読ますことができるようなブログにしたいな。

今日はこの辺で・・